Autistic Burnoutについて、自分の不調のどこまでが含まれるのかはぼんやりしていますが
基本はこれかと思います。
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幼稚園ウオッチング – Episode (natsumee.com)
物心ついたときから、ごく一般の人たちと規格が合ってないというか・・・
どうして他の人が大丈夫なものがダメなのかはもともと脳みその作りが違うというか、私から見るといわゆる定型発達の人がとる行動は不思議でしょうがないけれど、とにかく刺激に弱い上に公共の場に行くと絶えず異端な人たちの作り出す社会に対しての環境適応能力が乏しく、常に過敏に反応し刺激を受け続けるので、それだけで摩耗していきます。これが慢性的にくたびれている原因の根柢の部分にあってかなりの割合を占めているように思います。
その他には、これは個人個人の特性や今までの体験などによってかなり違うかと思いますが、私の場合は限界点をさぐるような行動を強いられることが多かったせいか、「あとちょっと、あとちょっとだったら大丈夫かも」とぎりぎり耐えられるかぎりとにかく頑張り続ける、ある意味無謀な努力をする行動パターンができあがっているようです。
デフォルトで体調があまり良くない。けど、体調が冴えないときに休んでいたらほんとに何もできないので、体調が整ってなくても、ある程度は動けるようにはトレーニングされています。
時に食事に関しては一日3回やってくる上に生命維持に必要なものなので、どんなに吐き気があっても食べないと死んでしまうので必死でした。
大学生当時はパニック発作がひどかったですが、その程度では休まずに大学に通っていました。今の時代だと対応が違うのかもしれないですが、(当時の本格的なうつ病や躁うつ病や精神分裂病など重篤な精神疾患以外の)精神疾患で休息を取ったりサポートを受けたりする時代ではなかったのもあります。
昨日鶴見川の遊歩道を散歩していたら急に日が差してきて、なんとなく足がふらふら、突然疲労感に襲われて「わ、やばい!」と思いました。その時に「ああ、こんな時に休憩をするといいのかもな」と思ったのですが、結局は休憩しなかったです。「これ、もうちょっと前に休憩を入れておいた方が良かったパターン?」とも思いましたが「いったん集中力がとぎれて休んでしまうと二度と動けなくなるかも」とも思いました。休憩するよりも一刻も早くこの危機的な気分になっている状態から抜け出したいという気持ちでいっぱいになります。
「そうだ!日傘をさせばちょっとマシかも」とも思ったのですが、カバンの中に入っていた日傘は結局ささず、持っていたスポーツ飲料を飲み、クールタオルを首にかけたところで「まだもうちょっと進めそう」と歩き続け、時々止まっては「まだもうちょっと大丈夫そう」と進んでいるうちにバス停までたどりつきました。あとから思えば何を焦っていたんだと思うのですが、休憩してもとの作業を続ける・・・みたいな切り替え作業はなかなか難しいし、通常はわざわざ休憩しようなどという考えはまったく思いつかないです。
もともと待っているのは苦手です。自分の行動はひらめきだけで動いていることが多く(これはADHDの特性のほうなのか?)意図的に行動を制御したり、他人のペースに合わせるということもかなり困難に感じます。家族と出かけた時ですら、うまく行動の流れに乗れません。
身体を休めるだけではなく高ぶった自律神経(交感神経)を自力で鎮めるのも難しいです。←これがそんなに簡単には出来なくて、今やっているだけ作業をとめてもちっとも休めないように感じます。
この根底には公共の場にいるときには緊張して摩耗していくというおおもとの過敏状態があって、結局のところおおもとの社会性の無さや過敏さをどうにかしないと・・・という自閉症の特性である根本的なところへ、振り出しに戻るような悪循環をしているような感じかもしれません。
自分がいつごろどんなサポートを受けていれば良かったかな?というのは経歴が長すぎてまだあまり考えてないですが、娘を育てながら、娘の気持ちはなんとなくわかるのですが、例えば学校の先生からこんなことができるといいのにね、と言われた場合、それは理想かもしれないけど、私も無理!というものも多くて、娘が受ける刺激をオブラートに包むような方向へ援助はしてきたかもしれないです。それが良かったのかどうかはわかりません。
いずれにしても、改善できるもんならとっくにやっているよ、というものが多くあり、この社会と自分のの規格の合わなさは、努力だけでは埋めきれないものを感じます。