娘が様々な不適応を起こして、それが長期間続いてしまうことがある。そうすると私はどうしていいかわからなくなり、主治医なり学校の先生なりに相談することになるわけなんだけど、結局のところ
「様子をみましょう。」
ってことになる。
「様子を見ましょう」・・・あ~、なんと口当たりがよく都合のいい言葉なんだろ。
この前も思わずクリニックの先生に
「あの~、結局様子を見るのはわたしなんで、様子をみましょうといわれても困っちゃうんですけど。。。(だから相談してるんじゃん!)」
と切り替えしたら(汗)
「そっ。そーですね。名案が思いつかなくてすいません。」
って言っていたけど・・・
結局、すべてのことは、わたしの観察と判断と行動に任されることになるわけだ。
専門家を含めたみんながどんなに必死に考えても、解決の糸口のかけらも思いつかないで、
「様子をみましょう」
ってことになってしまうようなことを、わたしひとりですべて判断し対処していくのはかなり難易度の高い作業だ。しかも私には日常生活がかかっている。
たとえば様子を見るというひとことの解釈でも、
「4週間様子を見ていて変化がなかったら、また治療方法を考え直しましょう。」
などの指示が出ていれば、具体的な目安があってわかりやすい。
そんなに心配する必要がないから特になんの対処もしないでいていいという意味の「様子を見ましょう」もある。
でも難解な問題で使われる「様子を見ましょう」というのは、どうしょもないからとりあえずそのまま過ごすような逃げの意味合いで使われることが多い。
でもって、わたしが「様子を見ましょう」と言われるときは、たいがい何の見通しもなく、闇の中にぽーんと放り投げられたような気分になる状況のことが多いわけだ。
「様子を見ましょう」という言葉は、ほんとに何とでも解釈できる便利な言葉で、臨床の場面でもほんとに良く使われるけれど、実際様子を見ている私には、何の救いの手も差しのべられない。
ただただ様子を見ているうちに、わたしのほうがぶっ倒れないことを祈るばかりだ。