私が振舞っているイメージ


私は、外に出て行くときには、ちょうどこの絵のように、ふかふかで厚ぼったい毛皮のようなものをよっこいしょとかぶっていくようなイメージを持っている。
(娘の絵を拝借して絵を描いてみたけど、わたしの絵が下手すぎだ~~。)
そもそもなんで振舞う必要があるかと言えば、正確なイメージではないかもしれないけれど、ちょうど宗教も文化も風習も違う異国にぽんと放り込まれ、その地の風習になじまないと周囲からは超ひんしゅくを買い、村八分になってしまいそうな時、見よう見まねで、その土地になじもうと努力する感じにちょっと似ているかもしれない。
少なくともわたしから見た世の中は、そのくらいわたしと基本的なものの考え方や行動パターンが違っている。
それはともかく、このかぶりものの効用は、その場に応じてニコニコと明るく温和に振舞うキャラクターを作り出してくれて、ふかふかのクッションで、外界からの刺激がストレートに私本体に伝わるのをやわらげてくれる。また、私から発信される研ぎ澄まされた感覚が相手にストレートに伝わってしまうのをすっぽりと覆ってくれる。
前の主治医にかかっていたころ、
「お子さんの話を聞く限り、すごく大変そうなのに、あんまりつらそうに見えたことがないですねー。他の人だったらとっくにダウンしてしまいそうなのにいつもニコニコと話をしていて。。。」
といつも言われていたけど、これはかぶりものがニコニコしながら、私本体の話をするので、なんかちぐはぐな表情になってしまうわけだ。
ちなみにこのかぶりものの欠点は、悲しみや苦しみや怒りの表現がへたっぴなことである。
でもって、外で人と接する場合、ニコニコ笑って愛想よく人と振舞っているのはこのかぶりもののうわべの部分で、私本体までしみこんで来ていない。だから、適当に相槌を打って、会話が弾んでいたはずの時でも、意外とあとになってみると、うわべだけで話をしていて話の内容をあんまり覚えてないことが多い。私の記憶に残るのは、かぶりもののフィルターが効きにくくて、私本体まで、ぽーーーんと飛び込んできてしまった不安感や恐怖心をそそる話題と、「きょうもよく振舞った」という事実。楽しげに談笑していたのは、かぶりものがやってくれていて、私本体が楽しいひとときを過ごしたようには感じない。
そして家に帰ってよっこらせとかぶりものをはずす。
緊張が解けてどっと疲れを感じる瞬間だ。
私が人との集まりや、外出をお休みするのは、このかぶりものをうまく製造する元気のない日。(=振舞う気力がどうしてもわかない日)
その調子の悪さはとても人に説明しにくくて、いつも何を理由にしてお休みするか非常に困る。
そういうときは、とても不安に満ち溢れていて、自分を取り繕うことができない。
わたしと娘の能力の差は、このかぶりものの製造能力の差のような気がしていて、中身本体はお互い思考回路も行動パターンも非常に似ているように思う。
だから娘を見ていると、どの程度このかぶりものを使いこなすテクニックを教えたほうがいいのか、非常に悩ましい。
かぶりものをかぶればある程度外界と円滑に接することができるようになるとはいえ、このかぶりものはかぶると疲れるからである。