ひょんなことからわたしはメンタルクリニックの心理の先生と面談をすることになった。
目的は「行動を整理して少しでもラクになれるように。」だ。
だけど、どうも、自分の感情にマイナスイメージしか持たず、プラスのイメージがない気がするわたしには、「ラクになるってどういうこと?」かがよくイメージできない。
自分がもっと不幸になった姿は簡単にイメージできるんだけどな。
あえて必死に自分が「ラク」になった姿をイメージしようとすると、思い浮かぶのは、
「アルプスの少女ハイジのおじいさんのように人里離れた場所で、ただぼーっと暮らしている姿」
とか
「一日中、なるべく現実に触れないように、長時間眠り続けて過ごす姿」
とか、そういう現実逃避的なものしか思いつかない。
でも、「ラク」という感覚がないかといえば、そういうわけでもないような気がする。
たとえば、「娘が不登校だった中学時代と、学校へ毎日通っている高校になってからとどっちがラクか?」と具体例をあげて聞かれれば、わたしは「不登校だった中学時代のほうがラクだった」と答えることができる。
ただこれも、どっちが苦痛かを比較して、苦痛でないほうを「ラク」と選んでいるような気がする。
ちなみに、心理士の先生との面談が終わったあとの主治医の診察時に、いきなり
「どうでしたか?」
と聞かれて、いつも感想のないわたしはとても困った。
いや正確には、憂鬱だったとか、苦しんだとかのマイナス感情が生じたときは感想があるのだが、特にこれといって、不快なことを感じなかった場合は、な~んにも感情がわかず、感想もない。
だからこんな漠然としたことを聞かれると、キョトンとしてしまう。
それでも、早く何か言わなくちゃというプレッシャーに負けて、とんちんかんなことを言ってしまい、わたしの的外れな回答にさらに相手からの返答が帰ってきたころには、相当話がずれてしまい、わたしはあとになって落ち込む。
いずれにしても、ラクになるということはどういうことなのかを、もっと具体的に説明してもらわないと、自分が目指す姿がどんなものであるのかがさっぱりわからない。
逆に今感じている苦痛なことをひとつづつ取り除いていったら、少しはラクになるのかもしれないが、かぶりものをかぶってかろうじて生活しているわたしにとっては、日常の大半にあたるものが苦痛だ。だから、苦痛なものをひとづつ剥いでいったら、それこそ何もせずにぼーっとしてるか眠ってるかが一番幸せってことになってしまう。
要するに、大半が苦痛なんだから、どの程度ラクになればそれで妥協するかなんだろうけど、ラクとかそういう目に見えないものは、あいまいすぎてわたしには評価するのがとても難しい。
そして、わたしに欠如している「楽しい」「うれしい」などのプラスの感情をよみがえらせない限り、日々の生活を「楽しい」と感じられるようになることもないだろう。
わたしがこんな状態になってしまったのは、小さい頃から不安と恐怖に満ち溢れた生活を長いこと送り続けてしまったせいだろうか?
はっきりとした理由はちょっとわからないが、「今日は楽しかった」と思って一日を終えた記憶は少なくとも一日もない。