娘は小学校4年生の秋頃から生理がはじまり、突然激しく暴れるようになりました。
その冬は、足の捻挫、ファンタジーの2001学校、おにぎり教室、それと突然ひとりで徒歩通学をはじめたため、ものすごくいろんなことが起こりました。
力では娘にかなわなくなったな、と感じたのもこのころです。
そんな中で、わたしが一番鮮明に印象に残ったパニックの日の日記です。
あれっていつだっけ~?って今日娘に聞いたら、「2001年度の2月18日っ!」とさっさと教えてくれました。
娘はきちんとパニックを起こした日付まで覚えているようです。(汗)
2002年 2月18日 の日記より
■終わらない一日
きょうは久々に子供が暴れた。。。
学校の帰り、幼稚園の塾に寄った。学校から幼稚園までひとりで歩き3時ころ幼稚園に様子を見に行ったら、無事歩いてきた。
わたしはいったん家に帰り4時半ころ幼稚園まで車で迎えに行った。
その帰り、時計を見たらちょうど4時40分ころだった。
車で帰れば4時50分からのブルーナのアニメに間に合いそう。
歩いて帰るといいつつ、「急いで帰ってブルーナを見る!」と車に乗った。。。が、、
途中で「歩くのを忘れたぁ。ご機嫌悪くなりそう」と騒ぎ出した。
車が進むにつれてだんだん機嫌は険しくなり、駐車場につくころにはすっかり混乱していた。
ここから家に帰れば、きょうもホッと一息というところなのに
「歩くの忘れた。もう一回幼稚園から歩く」と幼稚園の方へ向かってすたすた歩き出した。
そんなめんどくさいことを。。。と想像しただけでめまいがしそうだった。
そのまま野放しにするわけにも行かずついていくと「来ないでよ」とますます混乱。
うちの近所のブックオフのへんまでは何とか騒ぎを収束させて家につれて帰ろうとひっぱったが興奮は増すばかり。
もうどうにも止まらない。
ブックオフ先の歩道橋を渡ったあたりで混乱のどつぼに達し、もちものは全部生垣のほうへばらばらと投げ捨ててしまい、「電話も壊す」と言ってコンクリートに打ち付ける。
私が散乱している荷物を拾っている間にぱ~~っと駆け出していってしまった。
通り過ぎる人はみんな振り返っていくがそれどころではない。
いったいいつになったら家に帰れるのか、この騒ぎが収まるのか恐怖を感じた。
荷物を拾っているうちに、娘はすごい勢いで走って遊歩道から道路に上がっていった。
ここでも電話を道に投げようとするのを死守。
すごいもみあいが続いた。
あまりの興奮状態でそうこうしているうちに、
「あ~~~。おしっこが出ちゃった~」
とほんとにおしっこがもれてパンツもズボンもずぶぬれになってしまった。
すると、きょうは着替えも持ってないのに「ここで着替える~~」と
ズボンもパンツも道で脱いでしまった。
恥ずかしいのに。。。
今度は「寒い~。ママのズボンをはいて帰る」と私のズボンを脱がそうとする。
しば~らく、犬の散歩をしていたおばさんがこちらを心配そうに見ていた。
親切に
「おかあさ~ん、大丈夫ですか~?」と少し遠くから声をかけてくれた。
すると、とたんに娘が
「道で知らない人と話をしてはいけません!」
と叫んで、私の口をおさえる。また興奮が増してしまった。(嘆)
確かに、変質者が出没しているので、きっと学校でそういわれてるのかもしれないけど。。。
申し訳なさそうに、おばさんは去っていった。
気の毒に。。。
と思ったが、そのおばさんに事情を話す余裕はなかった。
その後、ずぶぬれのズボンがいよいよ寒くなってきたらしくて、家に向かって歩き始めた。
「寒いよ~。インフルエンザになっちゃう。」とぶつぶつ言いながら歩いていた。
家に着いたらもう6時近くになっていた。もうすっかり真っ暗になっていた。
家に着いたらまっさきに
「まま、きょうは暴れました。って日記に書いておいてね」と言っていた。
この先、早退や遅刻をするような通院が目白押しなのだ。
大丈夫なのか。。。???
疲れたのを通り越して、深く沈んだ。
文章にしてみると、迫力がいまいちなのですが・・・
寒い盛りの午後4時半~6時ごろの出来事。
寒くて疲れていて一刻も早く家に帰りたいのにどうにもできず、無力感を感じました。
そしてわたしはこの日、かなりの衝撃を受けました。
「もう力ではかなわない。そろそろ真剣になんとかしないと危ない」という危機感を感じたので。
なんだかんだいって、外で暴れられるのは安全を確保するという面では一番危険です。
娘はパニックを起こしてしまうと、わざといけないことをやるので、それこそわざと車に向かって飛び出てしまうこともあります。
やっとの思いで無事家にたどり着いた時は、わたしの魂はすっかり抜けてしまってへなへなでした。
そして、この先の早退する予定の日は結局どうなったかというと・・・
2002年 2月21日
■心臓の検査
きょうは娘の川崎病の心臓の定期検診に行きました。
そんなに、混んではいなかったけど、一番最後に着いたのでレントゲンとエコーをとったあと、先生の診察を受けるのにかなり待った。
おかげで、6時間目には間に合わず、家にまっすぐ帰れた。
(去年ははやく終わりすぎて、6時間目の授業に間に合ってしまいいったん早退したのにわざわざもう一度学校に戻るというようなめんどくさいことになってしまった)
レントゲンも部屋に入って一人で撮ってきた。
エコーもちょっと怖がりながらもなんとかクリア。
「終わってよかった」と本人も言っていたが
「おじさんもホッとしたよ~」と検査のおじさんも言っていた。(;^_^A
一年に一度しか行かないのに、検査棟の先生たちはみんな娘のことを覚えているのだ。
(昔はずいぶん検査するの大変だったからね)
さぞかし強烈な印象が残っている患者なのだろう。
2002年 2月28日
■知能検査
きょうは心理の先生と面接があった。
今回の目的は「親子関係を見直しましょう」ということだった。
5時間で学校を早退していくはずが。。。
学校に迎えに行くと、気分が波立った娘が先生にからんでいた。(汗)
この前の心臓の検査のときはま~~~ったく平気で早退したのですっかり安心していたのだが、前途多難なムードが漂っていた。
しばら~~~く落ち着くまでに30分くらい時間がかかった。
何故か車の前の座席に座りたいといって、初めて前のイスにすわったらもう運転中気が散ることこの上ない。
ウインカーを出して左折。。。したところで
「あっ。信号が赤だよ。止まれっ!」
ってさあ。青信号を左折すりゃ、曲がったところの正面は赤だよ。
急に叫ばれると一瞬信号を間違えたのかと思うよ~。(冷汗)
やっとの思いで、T療育園へついたらまず知能検査をすることになった。
あんまり調子がよくないみたいで、出来はどうだったろうなあ。
その後先生と私がお話をしているあいだ、絵を描いて待っていた。
どんな風にわたしの日常生活が大変なのか必死で訴えたのだが、どのように大変なのかいまいち伝わらなかったような気がした。
最後に次回の予約の話になった。
次回は検査の結果はお母さんだけ聞きにきて。。。
なんていう会話を娘が聞き逃すわけがない。
「学校を早退して自分も来る。」とにわかに騒ぎ出した。
もともと機嫌がいまいちだったので、機嫌はだ~~~っと奈落の底に落ちていった。
もう、執拗にからむからむ。
おかげで、わたしの日常生活がどんな風に大変なのか、心理の先生も目の当たりにして
「う~~ん。こ、これじゃ~、お母さん疲れますね。(汗)
次回までに何かいい案考えておきます。」
と、腕組みをしてうなってしまった。
機嫌が悪くなってよかったような、悪かったような。。。
その後結局、親子関係の改善に対しては何の名案も浮かばず現在に至る。
ちなみに、この日の知能検査の結果は全IQが74くらいだったような気がする。全部で12種類の下位検査のうち、9つはほとんど正常範囲あるいはそれに近いというのに、ある3つだけが、0点に近い。いちばん、日常生活で困る部分か欠け落ちているらしい。
知能指数だけみれば、普通の中に入っているのだがすっかり抜け落ちている部分があるので、なかなか社会に適応できない。
でも、世の中、障害の重さを知能指数だけで測るので、知能指数が70を超えてしまうとうっかりすると障害児の仲間に入れてもらえなくなる。
もちろん健常児の仲間には入って行けない。
娘はなぜか迷路の問題が苦手だ。
「このくらい出来る子でここまで迷路ができない子ははじめてみた」
と先生が言っていた。
知能指数だけをみると、障害が極めて軽いか、普通に混じれるように見えてしまうのだが。。。
知能指数と、日常生活の大変さとはまったく比例しないことは、なかなか理解してもらえない。
お役所に行っても、「軽いですね~」のひとことで済まされてしまうのだ。